大学選手権の準決勝は、第一試合は大東を明治が逆転勝ち。
第二試合は、東海が帝京にどう挑むか?が、みどころですが。
さて、手前味噌で恐縮ですが、長男・次男と一緒にラグビースクールで指導していた子たちの中から、高校代表候補、代表が四人もいたことに最近検索していて気づきました。知らない処で、まだいるかもしれませんが、もう縁遠くなっているので、定かではありません。。花園に出た子は何人もいます。
また、女子のセブンズの代表候補にも二人いました。
麻生のスクール出身の外岡くんは、今日の明治ではメンバー入りはしていなかったけど、去年は公式戦デビューしていたはず。
たしか、彼が小学生一年生だった頃、ミニゲームの合間で、
「悠太郎、どうした、なんで泣いてるの?」
「う~ん、パパがトライ取れなかったら、試合の後のアイスなしだって・・・グスン。」
「・・・」
練習の後、同じくコーチをしていた、外岡父に、
「外岡さーん、悠太郎くん、かくかくしかじかで泣いてましたよ~」
「えっ、ほんと、まいったなあ。(頭ポリポリで苦笑い)」
「(僕も無言で、思わず笑う)」
そんなこともありました。そんな彼、今や190センチ近い巨漢ロックで久我山では、高校日本代表でした。
こういったところ、麻生のスクールは、コーチの方たちもエリート(大手企業勤務)が多く、笑顔が絶えない、いいスクールでした。
やはり、慶応大学で、去年から不動のスタンドオフを務める、古田京くんは、医学部在学。確か、お父さんも経験者だったはずですが、コーチ同士ののタッチフットで、サッカー部出身で持久力に自信ある僕の動きに慌ててたっけ、結構未経験者でも認めてくれてました。他の、経験者のコーチの方にも、僕は「よく動きますねえ」と言われてました。
また、札幌のスクールでは、あるとき、コーチ同士の試合の時に、スパークした時があって、試合後、「どこでやられてたんですか?」と言われて、「いえ、未経験者です」と答えて、驚かれたこともありました。
いやはや、凄いメンツの中でやっていた息子たちに脱帽です。
二人とも、ラグビーは小学校で引退して、長男はオタク道にまっしぐら、次男はバスケに中学で転向し、大学に入ってはモス・バーガーでバイト三昧で、忍たまの「きりまる」のようです。
なんか、それぞれに僕の一部分と似ていて、「遺伝ってするんだなあ」と一人で感心しています。
あー、なんか、やりきった感があったのはこういうことだったんかな。
今はすっかり、ラグビーからは足を洗っています。
ちなみに、「忍たま乱太郎のきりまる」とは・・・以下の通り。
学費と生活費のため日夜アルバイトに勤しみ、逞しく生きている。
現在は土井先生と同居しているが、同居に至った経緯は不明。一説によれば放っておくとどんなアルバイトをしてくるかわからないため一緒に暮らしているらしい。
忍術学園に入る前から40種類以上のバイトをしており、ほぼ毎巻バイトをしている。