ここ、全く予定に入っていなかったどころか、
存在や位置さえ知りませんでした
現地で探索した結果です
きっかけはこの記念碑から
秋山好古「天地無私」、真之「熟慮断行」
全くの偶然で、京成大久保のcase-Kでラーメンを食べた時に、
ほんと「発見した」って感じで不思議でした
「あっつ、坂の上の雲の阿部寛だっ!」
「実弟の秋山真之はモッくんだ!」
「先日亡くなられた、樹木希林さんの婿殿だ!」
って感じでしたよ
ちなみに、ぼくは、風まかせ~の「風林火山」の「如風」
えっつ、聞いてない、そりゃまた失礼しやしたぁ~
日本騎兵の父 指揮官の理想像の典型だね
ロシアのコサック騎兵との戦いは熾烈だった
秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている
この、あるフランス人の言葉が、彼の人となりを如実に物語っている
どうでもいいけど、銘板表面の干渉縞がすごいね
表面研磨が微妙にサブミクロンオーダーで高低差を持っているから、通常光でも干渉するんだね
台所の洗い物での水面に張った油膜の干渉縞と同じ原理だ
NHK「坂の上の雲」より
最近は、婚活ならぬ昆活に忙しい、香川照之は
こういった、主人公と別系統の脇役をやらせると本当にうまい
「龍馬伝」での弥太郎しかり、この子規しかり
しかし、妹役の菅ちゃんは、対立してた半沢直樹の実の奥さんじゃないかぁ 爆
うまい俳優さん、女優さんは、やはりいい作品ではなんかしらかち合うんだよね
この兄弟も立派だよね
陸海で共にその重責を担ったなんて、
持ち味が兄弟で違っても、全然OKなんだよ
ってうちの次男には、この前LINEで飛ばしといた
意外と自由だと思われがちな弟は、偉大な兄と違う色を出そうともがいてるもんなんだよ
伊予に戻って、後年は教育者になったんだよね
もともと先生だったのが、兄好古は弟真之の学費と生活費捻出のために職業軍人に転向してた
この兄弟に親しみを感じるのは、同じ四国の出だからかもしれない
真之は後年、霊関係や宗教系に行ったんだよね
達成感ゆえの焦燥感だと思う
NASAの宇宙飛行士が宗教家に転身するのと一緒だと思う
また、戦場での厳しく辛い現実を目の当たりにしたからだと思う
この弟が若くして亡くなったのが痛ましい・・・
菅の祖父が生前教えてくれた
「〇〇〇くんの誕生日は陸軍記念日じゃ」と
奉天会戦の日 そして、東京大空襲の日だ
また、海軍記念日は日本海海戦の日だ
この日、金毘羅さんでは、掃海殉職者慰霊祭が執り行われる
騎兵第一旅団は、騎兵第13連隊と同第14連隊から構成されていた
旅団はのちに、戦車第3師団へと改編されている
2個旅団編成で各個に2個戦車連隊を麾下に持った編成だ
ドイツの第1騎兵師団→第24戦車師のような例が日本にもあったんだね
Wikiより抜粋
現在、騎兵第13連隊跡地には東邦大学習志野キャンパスが、騎兵第14連隊跡地には日本大学生産工学部津田沼キャンパスが立地している。旅団司令部跡地は八幡公園になっており、1976年に建立された「習志野騎兵旅団発祥の地」の碑がある。
現在の日大の生産工学部と東邦大学の敷地が、騎兵師団の兵営地だった
ところどころ、経年劣化で消えかかっているが、ぜひ新調してもらいたいものだ
八幡公園にあった板碑群
「騎兵旅団司令部跡」
「馬頭観音」
「習志野騎兵旅団発祥の地」碑
誉田八幡境内にあった栗林少将(当時)筆の紀元二千六百年記念の碑
1940年当時騎兵第1旅団長だっら故らしい
公園に隣接する、誉田八幡
「出会った神社には・・・」にの法則が発動!
ここも、南に参道が伸びていた
まず普通は、南側に参道が伸びている
北側に伸びていたのは、
北口本宮冨士浅間とやっほ~天神ぐらいか?
黒溝台の激戦
Wikiより抜粋
秋山支隊は秋山好古少将率いる騎兵支隊で、騎兵第1旅団を中心とした歩騎砲の3兵種を備えた複合型騎兵集団で、奥保鞏大将率いる第2軍に属し、日本軍最左翼を守備していた。しかしこの部隊は40km余りの戦線に対し、わずか8,000人程度の人員しか配置されていなかった。
秋山支隊のような兵力で40kmという広範囲を守ることは不可能であった。このため秋山少将は、拠点防御方式という騎兵としては相容れない考えの戦術を採用した。騎兵という兵種はその特徴である機動力で敵の弱点に対し打撃を与えるものである。一方、秋山少将の考え出した拠点防御方式は拠点に塹壕を掘り穴ぐらに馬ごと潜ってしまい、そこから機関銃などの兵器で攻撃するものであった。この戦術は騎兵の機動力が生かされない一方、不利でありながら防御体制を何とか構築することに成功し、黒溝台会戦の窮地を救うことになる。
秋山支隊は防御拠点に4大拠点を置いており、西部側より黒溝台に種田支隊、沈旦堡に豊辺支隊、韓山屯に三岳支隊、李大人屯に秋山支隊主力であった。しかし、秋山少将は自分の司令部を奥第二軍との連絡のために支隊の一番右側に置き、戦力としても各師団に配属されている連絡用騎兵をわずかに率いていた。元来自分の率いていた騎兵第1旅団は自分の手元に置かず、ロシア軍が突破する進路になると考えられた沈且堡に主力を置き、豊辺大佐に指揮を執らせていた。
状況が後年の独ソ戦でのドイツ軍の薄い戦線の兵力を思わせる
40kmって、新宿~青梅間の距離を8000人かぁ~
5mに1人か、ザルだね 敵が騎兵主体だと、各個突破されて、かなりやばいね
通常だと、一個師団にはどのくらいの距離の前線を任せるんだったっけか?
パウル・カレルが独ソ戦の中のどこかに書いてたんだけど・・・長男に持たせちゃったからな
戦車師団の防御線でのダックイン戦法と同じ思想だね
現に、ノルマンディー戦で第21戦車師は、これをやった
また秋山支隊は、ドイツの各兵種混成の戦闘団、Kampfgruppeと同じでは?
ドイツでは、防御戦において、重戦車大隊とその側面援護の騎兵旅団のセットが試されていた。なお、ドイツ騎兵部隊指揮官は貴族出が多く、難解な長ったらしい名前のオンパレードになる
また、この戦いでは、戦史上初めて、塹壕戦での機関銃の集中運用がなされた
「いかなる大軍と言えども、機関銃を装備した塹壕を突破する事は困難である」という戦訓を残した
本来機動戦術をとるべき、虎の子の騎兵部隊を預かる指揮官が、塹壕戦を指揮し、これに勝利したことは特筆に値すると思う
臨機応変、機を見るに敏、思考が柔軟だった証拠だと思う
なお、筆者がこの黒溝台の激戦を知ったのは、映画「八甲田山」のエンディングのナレーション
「天は我らを見放した~」神田大尉(モデルは神成大尉)
福島泰蔵の綿密な事前調査は陸地測量に携わった経験故か?
八甲田の慰霊碑もいつか訪れたみたいポイントだ
無事生還した弘前歩兵第31連隊の指揮官、高倉健演じる、徳島大尉のモデルである、福島泰蔵のその後は、日露戦争、黒溝台での戦死というナレーションからだった
三笠には行こうと思っていたのだが、まさか兄関連から偶然出会うことになるとは思わなんだ
次は、横須賀の三笠に行こう
やはり、しみったれた恋愛話なんかよりも、こういった軍事関係を書かせると筆がのる奴だね 爆