拙ブログでのアクセスで、これもいい線いってたらしいです
そんな隼鷹についての小ネタです
闘将 角田覚治
見敵必戦の猛将とも(歴史街道で書かれていたな)
個人的には、龍驤ちゃんを棚づけて活躍させていたところがすごいと思う
Wikiより
源田実は「角田はネルソン的精神の尊敬すべき性格をもった闘将であり、山口多聞や大西瀧治郎に匹敵する人であった」と評価する一方、こういった人がもっと早く航空戦力の重要性に気付いて体制を整えてほしかったとも語っている[3]。
第三航空戦隊参謀淵田美津雄によれば「角田は砲術出身だったため砲術家通有の保守的で頑固なところはあったが、気性はさっぱりしていた。武将として最も優れた性格と思われるのはその攻撃精神が旺盛なところであった。見敵必戦のその闘志はかつてのコロネル沖海戦での英海軍のクラドック提督を思わせるものがあった。この猛将の性格は時には柔軟な作戦指導を要する航空作戦の性格上、何から何まで全て適役というわけではないけれども、ともすれば慎重に過ぎて、すぐ腰がくだける我が艦船部隊の多くの指揮官に比べて一異彩であった」という[4]。
アリューシャン作戦
攻撃力を補うために巡洋艦搭載の九五式水偵4機を爆装で出撃させて2機を喪失するなどの強引な用兵
南太平洋海戦
この時に角田の意を受けて「隼鷹」飛行長は、飛行隊の行動範囲外である攻撃隊を発進させ、母艦は全速力で飛行隊を迎えに行く命令をした。
この角田中将座乗の 勝負運の強い間で、被雷したものの、終戦時にも佐世保で残存していました
しかし、こういう人が乗っていたのもこの艦の運でしょうなぁ~
隼鷹艦長 長井満
Wikiより
甲標的の艇長らが呉の料理屋で飲んでいたところ、一人の中年士官が名乗りもせずに座敷に割り込み、宴を共にした。艇長らは酩酊してその士官とふざけ合い、席中大笑いとなったが、翌日、司令官として基地に着任した長井満少将こそが前夜の中年士官で、威儀を正して整列していた艇長たちは一同唖然としたという。
隼鷹艦長時代のエピソードとして、機銃分隊長、武田大尉によると、隼鷹では艦長主催の艦務会議があり分隊長以上が出席し、そこで艦の運営方針が討議されたが、「この会議はとても民主的というか自由な雰囲気で、階級の上下や年齢にこだわらず、とにかく皆にどんどん発言させる。そして充分に意見を聞いた上で、即断即決で(長井)艦長が議事を処理していきます。いかにも海軍的な合理主義と自由な雰囲気に満ち、ここで学んださまざまなことは、戦後の社会生活でも大変役に立ったと思います」と述懐している。
これらの逸話でも窺われるように、非常に気さくで温厚篤実な人柄で、若手将兵たちの良き理解者として敬慕された指揮官であった。
第4潜水隊司令となり、自らが座乗する伊号第二十五潜水艦がオレゴン州アストリア要港に入り、フォート・スティーブンス陸軍基地へ14センチ砲で砲撃を行った。いずれも敵軍の被害は軽微なものであったが、フォート・スティーブンスはパニックに陥り、反撃さえできない有様であった。この攻撃は、米英戦争中にイギリスの軍艦が米軍基地に砲撃を加えて以来の米本土に所在する軍事基地に対する攻撃であり、その後現在に至るまで外国軍による米本土の基地への軍事攻撃は行われていない。
う~ん、すごい!!!
こんな方も、戦車撃破章のリストからみっけました!
Dr.Franz Bake
フランツ・ベーケ
ベーケ中戦車連隊で特に有名です
我らが、ヨーヘン・パイパー
Joachim Pieper
戦車撃破は?
クルスク辺り?
フランス戦?
二人とも、ランクは戦車連隊長ですからね
さらに・・・
エルンスト=ギュンター・バーデ
彼は時折見せる風変わりな行動や、頻繁に行う最前線の視察訪問などで知られていたため、彼の部隊の兵士からは人気があったという[3]
こんな人も~やはり部下に人気ってことはすごいことだと思う
そんな上司ってあまりいなかったね
研究所時代以外はね