昨日は、劇暑のなか、「東京湾をぐるっと回ってみよう」を敢行したものの、かなり疲れました
「さかつら」と読みます。
御祭神は、大国主命と少彦名命です。
ここは、対になる、大洗磯前神社と合わせてきたかったお社です。
僕は、神様の中でも、「ちっちゃな神様」だった少彦名命様が大好きなのです。だからねぇ~、僕に息子たちが生まれた時は、ちっちゃい神様ができたと思ったよ、男の子だったしね。アイヌのコロボックルっていうのもあったね。
大国主命の国づくりに協力し、様々な知識や技術を伝えた神様です。
そして、国づくりの見通しがたった頃、稲穂にしがみつき、棒高跳びの選手みたいに、びよ~んといずこかへ飛び去ってしまったのです。
このシーン、小学生低学年の頃の教科書でみましたが、今も胸に焼き付いています。
この神様、有能なナンバー2の先駆けです。
そ~、ナンバー2、参謀役が大好きなのです。
それに、早生まれでちびっこだった僕には、親しみがわきました。
こんな人(神様)もいるんだってね。
太閤秀吉の治世は実弟秀長の存在があってこそ。
フリッツ・バイエルライン、ヴァルター・ヴェンク、テオドール・ブッセのドイツ国防軍の参謀畑出身者が、戦争末期に、軍団・軍司令官として活躍しているのにも、非常に興味があるのです。
特にベルリン戦での最終局面では、ヴェンクの第12軍が撤収してくるブッセの第9軍のための回廊を確保しました。ハルべ、ゼーロウ高地での戦いも。
ピコプルン戦闘団、フォン・ルック戦闘団の活躍!
特に第21戦車師の古兵、古狐であるフォン・ルック大佐についてはいづれまた。
当時のヴェンク将軍による自軍将兵への訓示
「諸君にはもう一度、苦労してもらわなければならない。すでにベルリン、ドイツが問題なのではない、戦闘とソビエト赤軍から民衆を救うことが諸君の責務である。」
沖縄戦での太田実将軍の自決前の次官宛電報と同様の自国民、民衆への気持ちが伝わる。これは、天皇陛下万歳ではなく、今後の沖縄県民の未来をよろしくという文面であった。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
お話を、神社のお話に戻しましょう。
さつまいも畑に囲まれた、ひたちなか海浜鉄道の磯崎駅から住宅街を歩き海沿いのお社につきます。
鳥居から続く山道は、木々の緑のトンネルになっています。
う~む、植物系の僕にとってはエネルギー充填スポットかもしれません。
それを抜けると拝殿が見えてきます。
医療や酒の神様なので、病気平癒のお守りを買います。
対応していただいた、巫女さんが、戸を開ける手の袖を、反対側の手で押さえていた(なんと表現するんでしょ?)所作が美しく否、麗しく、和装はいいものだなあと思いました。装束また着る機会あるのかな?
置いてある亀さんの頭も撫でてきます。
脇の石段を降りると、阿字ヶ浦の海岸、遠くはひたちなか海浜公園?
観覧車も見える。
そういえば、故曽山学さんのM.S.モデルはここ、ひたちなか市にあったな。
かのお店がAFVキットの輸入代理店として果たした役割はとても大きく、後見代なのです。
とてもたくさん、お世話になりました。
勝田駅の前の通りをまっすぐ行くとあるようですね。
すいません、あいかわらず、何についてのコラムかわからなくなっちゃいましたね。