西国分寺と国立の間、無理すれば、恋ケ窪からも歩ける。
各駅からのバスで向かうのが無難かもしれない。
とりあえず、国立駅北口からいつものようにてくてく・・・
日吉町の交差点を南へ行くと右手の奥まったところにある。
風情のある佇まい、やはり、暖簾がないとね。
お店の名前は「孫市」・・・雑賀の鈴木孫市?
左上の法則で、味玉中華そばを購入。
券売機の上には、白河とら食堂の暖簾分け、派生店舗一覧があり、興味深い。
残念ながら、東京ではここと、荒川区に一店だけのようだ。
この日は携帯を家に忘れたので、今度来店した時に写真撮っておこう。
鶏がらスープに縮れ麺で、これは松飛台の「とら食堂分店」と同じ味だ。
あの味がかなりお好みだったので、近くにこんなお店があって、すなおにうれしい。
近所ではここが行きつけのラーメン屋さんになりそうだ。
次回はワンタン麺だな。
しかし、このくみあわせ、下館ラーメンに似ている気がする。
帰りは、恋ケ窪へ歩く。
僕は地元だから平気だけど、かなり歩くのでおすすめしません。
国分寺郵便局、国分寺市役所は、ここ恋ケ窪駅そばにあるんです。
このあたり、西武線密集地帯には、学校や大学が多いんですよね。
この、恋とつく土地の名前の由来、ご存知ですか?
遊女と武士の悲恋伝説があるのです。
この辺りは鎌倉街道沿いの宿場町として栄え、そこに夙妻という評判の遊女がおりました。その彼女の客の一人に、畠山次郎重忠という武士がいました。
やがて、重忠と夙妻は、遊女と客の関係を超えて深く愛し合うようになりました。
時は源平合戦の最中、するとその後、九郎判官に従い西国へと旅立った重忠は帰らぬまま。
そして、重忠を慕い続け、他の客に心を許さぬ夙妻に心ない噂が聞こえてきます・・・
「重忠は西国の地で、平家相手に討ち死にしたらしい。」
この嘘を信じた夙妻は、絶望し自害してしまいます。
彼女を哀れんだ者が建てた墓からは西国へと重忠を慕うかのように枝が伸びたといいます。
そして、凱旋帰国した重忠は、夙妻の死を知り、号泣し続け、人々は、この地を「恋ケ窪」と名付けたのだそうです。
畠山重忠・・・のちに北条家に謀殺されてしまうのですが、好きな武将です。
清廉潔白、坂東武者の鏡と誉れ高く、エピソードが他にもいくつか残されています。
怪力で知られ、鵯越では、愛馬が怪我してはと背負って坂を下りた。
僕も自転車かついだことあるよ 爆
松原湖での母が化身した龍の生き肝伝説
罪人の取調べでは温厚で、ゲジゲジ梶原景時とは雲泥の差だった。
曽我兄弟の仇討ちをそっと見守っていた。
重忠が青梅の御嶽神社に奉納したとされる、国宝の赤糸威大鎧が有名です。
なんか、他人事じゃないなぁ~