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Channel: Modell Studio "Gelb und Grau"
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人生の振り返り 「ツンデレお嬢様と気の利く執事」

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Umm, I'm not in love・・・


解離性健忘
「解離性障害のひとつで過去のできごとや感情などを思い出せなくなる精神障害で、強いストレスとなるできごとが原因で生じます」
元嫁との結婚生活時のことが思い出せない、思い出そうとするとストッパーがかかる、などが起きていたんですが、どうやら、これに該当するようです。

「本人の心が耐えきれないつらい体験を受けているときは、いつもの記憶の仕方とは異なる方法で、脳の別の場所に記憶されます。そのため、他の記憶のようによみがえらず、思い出すことができないのです。」

どうやら、自己防衛本能のようです。
ですから、トラウマとなり、自分を傷つけることになる、フラッシュバックをさけるために、思い出せないようにしているようです。ですから、僕の場合も、元嫁の写真は一切持っていませんし、石田ゆり子は、かぎりなく理想化して無害化した代替として、まあ確かに似てはいましたが、眺めているのかもしれません。

ですから、もし偶然再会でもしたら、自分の行動に自信が持てません。とんでもないことをしでかしそうで、感情と行動の制御がきかなくなるとさえ思ってしまいます。

それに、すっかり記憶の闇にうずもれてしまって忘れていたのですが、元嫁から、離婚を切り出された時に、「他の男の人を知りたい」とか、「もっといい男の人がいるかも」とかって言われた記憶が残っているんですよね。
「じゃあ、そうすれば」みたいに、特に反対もせずに、あっさり離婚に同意して、特に争うとか、説得するといったことは全くなかったことも思い出しました。
不思議と、むしろ、ほっとした覚えがあります。

ですから、散々「でて行って」といわれ、「はいはい」と淡々と別居の準備に取り掛かり、家電をそろえていくと、「本当に出て行くんだぁ」とか言ってくる始末で何を今更と感じたり。
「晩御飯は外で食べてきてください」とメールで宣告されても、こちらは、「やったぁ~、やっとあのマズメシを仕方なく食べなくて済むじゃん」とか、むしろ、「これ幸い」と、自室で顔を合わすこともなく、お弁当食べたり。そうしていると、家を出るまでの一ヶ月の間に、向こうから、「一緒に食べない?」とか誘ってきても、「いや、いわれたとおりにこっちで食べるから」とか、「もう食べて帰ってきたから」とか、適当ないいわけで、一切顔を合わさず、完全に無視を続行していました。
もはや、議論することも煩わしい存在にしてました。

別居後は、一切の連絡を絶ち、通話とメールは着信拒否設定で、離婚調停時も、一切顔を合わすこともなく、最後は二人揃って、決定事項の確認をと言われても、断固拒否し、いっさい顔を合わすことはなく今日に至ってます。

整理すると、あれは、恋愛感情ではなく、みてらんない、ほっとけない、情や同情という感情でのつきあい、結婚だったんだと結論しました。学生時代、向こうからの一方的な、理由不明な絶縁から、偶然の再会の後、復縁?したものの、その際の詳細はまったく思い出せないのですが、結局、それからは情けでの付き合いだったんだと思います。そこからは、今でいうと、「ツンデレお嬢様と気の利く執事」といった関係でした。


This lyrics seem to be my whispers・・・
I bought Album "GAME" and listened to this song.

結局、見放せなかったんでしょうな。ですから、恋愛対象から同情する対象への変化から、恋愛感情を持たない性行為の対象としてみるようになった気もします。 僕の場合、元来、恋愛対象にはプラトニックな関係でいいとさえ思っていたので、性行為を無理に求めないスタイルだった気がしますが、それが、いってみれば風俗嬢などの、恋愛感情抜きで接することのできる相手とは・・・たぶん、そんなだっと思います、元嫁との関係も。

離婚を切り出された時は、こちらは執事的存在なので、雇用主?からの解雇?を告げられたような感覚で、「あー、そうですか」、了解といった感覚だったんでしょう。
その執事的な感覚に慣らされてしまって、ツンデレや涼宮ハルヒでのキョンの立場が理解出来るようにはなったんでしょうがね。


無自覚なツンデレお嬢ほど、やっかいなものはなかった・・・

さらに、全く記憶がなくなっていたんですが、離婚を切り出される前に、ある口論の際に、僕が、我慢の限界に達して、離婚してくれと言って、翌日に、離婚届まで用意して渡した記憶があるんです。

うろたえて、「まさか、本気じゃないよね」とまで言わせたような気がします。それからは、凧の糸が切れて、束縛から解放されて、家に帰ることが苦痛でしたので、早朝帰宅したり、休日も家にとどまることもなく・・・
そうして、相手の方から、決定打を切り出してくるのを待っっていたのかもしれません。
相手に言わせるように仕向けて、それにすぐ対応できるように、Readyモードにスタンバイしていたような記憶が。

もう、こちらとしては、見切りをつけていたんでしょうね。
元嫁は離婚を切り出したものの、なんども、離婚を思いとどまるそぶりを見せてはいたんですが、こちらは全く取り合わず、「だって、そっちから切り出したんでしょ」「なにをいまさら」という態度で、粛々と離婚の準備を進めていた気がします。

おそらく、恋愛感情があれば、そうはいかなかったでしょうし、失いたくないという感情があったと思うんですが、そもそも、それとはちがう、「情けの対象が、こちらの情けを拒絶した」ということだから、無感情に接することができたんでしょうね。
そして、そんな相手だから、思い出すことも嫌悪する、自分の人生の中でなかったものとしたい、無意味な時間、体験として認知する感覚が芽生えてしまい、今に至っているのでしょうね。

ひどい例では、まったく妻を思い出せない、重い記憶障害の例もあるようです。
そこまではいかないまでも、女性に対して嫌悪感で、生理的に受け付けなくなったのは、この元嫁との交際と離婚に端を発しているんでしょう。恋愛感情ではなく、同情での関係でなりたっている相手に「したくないの」と誘われたのが、女性嫌悪の発端だった気がします。女に対する見方が百八十度変わり、軽蔑の対象になってしまいました。潔癖なところがあったからでしょうな。ですから、アダルトビデオも見ていても、嫌悪感しかなく、あまり見なくなっていきました。ましてや、風俗など皆無でした。

悲しいことですが・・・
映画「存在の耐えられない軽さ」を思い出しますね。
ですから、今は、遠い初恋の残像を追い求めているのかもしれませんね。


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