ロータリーエンジン車には、乗りたかったあ~
RX-8の試乗までしていた僕だったのです。
コスモ・スポーツは、帰ってきたウルトラマンで見て以来、夢の車でした。
ご冥福をお祈りいたします。
苗字が一緒だから、親しみがわいた技術者の方です。
ルマン優勝車のレナウン・チャージ・マツダ787Bのキットは作りました。
レギュレーションが変わって、来年からはロータリーが禁止される年に日本車唯一の優勝を遂げた車です。
ちょうどその時、僕は、上顎膿疱の手術で日大歯学部病院に入院していて、このレースをテレビで見ていました。懐かしい~
シルクカット・ジャガーに勝ったんだよなあ~
プロジェクトXから。
しかし、くぼじゅん、若い!
ロータリーのアペックス・シールの開発の中で、「混ぜてみた」という、感覚的なトライでできてしまったところが、同じ技術者として興味深かったです。
「多くの自動車会社が諦めて去って行った中で、マツダだけが執念を持ち続けていたロータリーエンジンによって、1923年以来、レシプロエンジンだけのル・マンの歴史の中に新しい歴史を創った。これは単なるレースの勝利とは異なった大きな意義を持つ」 勝利の報に接して、ロータリーエンジンの生みの親ともいうべき山本健一氏が記した万感の思いである。