先日、エディさんを紹介しましたが、日本人の名監督と言われる人には、どんな人がいるのでしょうか。
まず、名前があがるのがこの二人。
明治の忠さんこと、北島忠治
早稲田の鐡之祐こと、大西鐡之祐
近鉄の元日本代表、小笠原博はこう言った。
「ラグビーを教わったのは、テツノスケから」
当時日本代表主将を務めた、横井章さんのブログ、大西理論の継承者として一見に値する。
今季、リーグ戦で久しぶりの優勝を手にしそうな、大東文化には、鏡保幸。
ドリフトディフェンスがなつかしい。
私が初めて、ラグビーを観戦したのは、明治と大東の大学決勝戦だった、懐かしい。
勝負師といえば、「鬼のキモケン」こと木本建治。
うちの次男はこの方の名前をいただいた。
日本ヒューレットパッカートでは、人事部長。
最後の学生チームの日本選手権制覇時の早稲田大学監督。
若くして、がんに倒れる。
スコットランド撃破の日本代表監督、宿沢広朗。
住友銀行頭取。
若くして、登山中に不慮の死を遂げる。
この死による損失ははかりしれないほど大きい・・・
若くしてがんに倒れる。
「プリンス」 平尾誠二
最近は、息子の幸太郎君のほうが有名になってしまったが、父、清宮克幸も、ラグビー高校日本代表主将。早稲田では、日本選手権、大学選手権優勝。サントリー、ヤマハでの監督。
大学時の日本選手権、東芝戦での、三人を引き付けてのラストパス。
社会人決勝での、三洋戦での、またもや、三人引き付けてのラストパス。
なんといっても、早稲田と関東の覇権争いをしたこと、くしくも関東の春口監督は、高校日本代表時代の選手とコーチの間柄。
次の日本代表監督は、彼しかいない。
最後に、私が、直に間近で見て、最もオーラのあったのは、この清宮監督だったが、最もオーラがなかったのが、中竹竜二。
大学三年まで、公式戦出場がなかったにもかかわらず、四年時に同期からの投票で主将に推挙される。中竹組の活躍は、名著「オールアウト」に詳しい。
清宮の後、母校、早稲田を率い、独特の指導方針でチームを率いた。
シンクタンク研究員の職を捨ててである。
おまけ
小学生時代のうちの息子たちの雄姿。
この写真、次男の右側に写っているのは、今年から、明治の入った斎藤大朗くんだ。