香川県の援護課から祖父の軍歴証明が送られてきました。
三通あり、兵籍、受傷説明書、軍属証明でした。
兵籍によると、唯一、満州事変に従事するとの記載があった以外は、どこの戦地にいたとか書かれておらず、生前言っていたノモンハンに行ったことがあるという証言を裏付けるものはなかったです。
兵種は工兵、所属は工兵第11大隊(錦2475部隊)第2中隊だったそうで、これは、香川の善通寺にある第11師団(錦)の所属です。
工兵だったのかあ~。
昭和5年に現役、
昭和7年に予備役、
昭和13年に後備役
となっていました。
その後、昭和19年時点で軍属として陸地測量部に配属されていました。また、昭和10年に入隊となっているので、予備役になった後、陸地測量部に入ったのかもしれません。野戦測量隊として、敵前の危険な測量任務などでノモンハンに行っていたのかもしれません。このあたりは謎です。
一方、階級は、昭和15年に兵長となっていました。
予備役になる前に、工兵上等兵となり、下士官適任証をもらってました。
第11師団自体が、あまり戦闘を経験していない師団なので、平穏な時間を送っていたのかもしれません。
記載はされていませんが、11師団が派遣された第一次上海事変が昭和7年ですから、従軍していたと思われます。そこでは、敵の背後に上陸したりしていたので、工兵は大変だったのではないでしょうか。
工兵の平常時の任務に測量があったので、その関係から、陸地測量部に異動したのでしょう。
生前、戦友の同窓会報みたいなのをチラッと見せてくれたことがりましたが、遺品として叔父が持っていないか聞いてみたいと思います。
11師団については、
ちなみに、受傷証明書によると、炊事場の井戸水ポンプを操作中に口の横をぶつけて怪我をしたそうです。